世界に寄り添う音楽を作るのが僕の仕事
作曲家 菊田裕樹(最終回)

第1回第2回第3回と続いた本記事もこれで最終回。菊田さんの音楽遍歴、プログレの魅力、音楽に向き合うスタンス、そして『聖剣2』ファンに衝撃をあたえたアルバム『シークレット・オブ・マナ』について語っていただいた。

Profile
菊田裕樹 Hiroki Kikuta

作曲家。東京音楽大学特別招聘講師。1962年、愛知県生まれ。スクウェア(現スクウェア・エニックス)在籍時に『聖剣伝説2』『聖剣伝説3』『双界儀』の音楽を担当。独立後も、『シャイ ニング・ハーツ』『エスカ&ロジーのアトリエ〜黄昏の空の錬金術士〜』等、多数のBGM作曲を手がけるなど多方面にて活躍。公式サイト(http://hirokikikuta.com/)、Twitterアカウント(https://twitter.com/Hiroki_Kikuta)。

『ドルアーガの塔』の音楽に感動

—— 菊田さんとゲームの関わりについても聞かせてください。アーケードゲーマーだったと話されてましたが、学生時代にはどんなゲームをされていたんでしょうか。
菊田 とにかくナムコのゲーム、遠藤(雅伸)さんの作るゲームにはまっていました。『ゼビウス』はもちろんやりましたし、『ボスコニアン』というゲームにはメチャメチャはまって、永遠に続けられる状態までやりこんでいて。僕らの頃は、風営法の前だからゲームセンターが24時間やっていたんですよ。夏とか自分のアパートにいると暑いからずっとゲーセンにいて、そのまま寝ていたら「帰ってください」と怒られたりしました。
—— その頃、ゲームの音楽には注目されていましたか。
菊田 遠藤さんの作った『ドルアーガの塔』の音楽は、小沢純子さんという方が作られているんですが、これが素晴らしいんです! ゲーム音楽で、こんなにも魂にせまるような凄いものが作れるんだと思いました。当時は遠藤さんや小沢さんのお名前は全然知らなかったんですが、あの音楽の凄さはずっと覚えていたんですよね。『ドルアーガの塔』と『イシターの復活』の2本は、メチャメチャやってました。今思うと、『ドルアーガ』は100円を入れてやるゲームとは思えない酷さでしたけれど(笑)。
—— 攻略方法が難しすぎるということですか。
菊田 謎解きも酷かったですし、ゲームセンターで動いているときにデモがないんですよ。
—— ああ、プレイ画面がでないと。
菊田 タイトルの字がいったりきたりするだけで、お金を入れるまで、どんなゲームか見せてくれないんですよね。メチャクチャですよ、そんなの(笑)。筐体の横にある紙にもどんな風にして遊ぶかは一切書かれていない。なんの情報もないところから始めさせるわけで……これはまあ酷いですよね。攻略法も、宝箱を出すためには1プレイヤーボタンを押す、みたいなことばかりで(笑)。
—— (笑)。
菊田 これはない! これはないわーっていうのを、もう総なめでやっていたゲームでしたね。ほんとに酷かったけど、大好きなゲームでした。
—— 『ドルアーガ』は、最後までプレイしたんですか。
菊田 もちろんクリアしましたよ。色々な人から情報をえて、研究しながらやりました。あの頃のゲームには、いまだに影響を受けてますね。
—— 言われてみると、菊田さんの音楽と『ドルアーガ』の音楽には共通するところがあるように思います。ゲーム内容に物凄くマッチしていて、心にせまるところがあるというか。
菊田 あの心にせまる感じは凄いと思いますよ。50数階までいくと、突然綺麗な音楽が鳴るんですよ(編注:ドラゴン系モンスターが登場する57、59、60階で流れる)。それがまた凄くよいんです。僕がゲーム音楽の世界で誰をリスペクトするかと聞かれたら、小沢純子さんだって答えますね。あの人が最高だと。
—— 当時、ファミコンはやられてないんですか。
菊田 もってなかったし、ほとんどやっていませんでしたね。人が集まって飲んだときにワイワイやるのは楽しかったですけど。ひとりで黙々とゲームをやる習慣もなくて、コンシューマーゲームは、ほとんどやらなかったですね。スクウェアに入ることが大体決まったときに、吉住純君という友達の家にいって「こういうのを作っているらしいよ」と見せてもらったぐらいなんです。

スクウェア入社のきっかけはプログレ

—— スクウェアの話題がでましたので、スクウェアに入社されたきっかけを聞かせてください。話の流れとしては、漫画の単行本をだしたあとですよね。
菊田 漫画の単行本もでたんで、堅気になろうといったら変ですけれど、まあサラリーマンになろうと思ったんです。で、ちょっと面白いことができるサラリーマンがいいなと思っていたら、ゲームの世界に入ると音楽を作りながら働けるということが分かって、そんな凄い仕事があるのかと。それができるんだったら最高だよねと思ったんです。で、『ログイン』の募集なんかを見て、何を作っている会社かよく分からないけれど応募してみようと最初にだしたのがファルコム(日本ファルコム)でした。
—— そうなんですか。
菊田 よく分からないまま応募して、落ちましたけどね。じゃあ、もう1社だしてみようと思って応募したのがスクウェアだったんですよ。ファルコムと一緒で、どんなゲームをだしているかとかは全然知らないままだったんですけれど。
—— たまたま雑誌で募集していたから。
菊田 ええ。さっきも話したとおり、入ることが決まってから友達にどんなゲームを作っているのか見せてもらったんです。「このよくわからないゲームはなんていうの?」「『ファイナルファンタジー』」「そうなんだ」っていうぐらい全然知りませんでした。
—— 面接用のデモリールの中には、『LOST FILES』(編注:過去の未発表曲と新曲を収録したアルバム。2006年に発売)に入っている曲もあったそうですね。
菊田 自分が好きで、得意な分野の音楽をカセットテープに入れて応募したんです。『LOST FILES』の前半部分のような曲ですね。当時、ああいう音楽を自分で作っていたんです。まあプログレというか、かなりマニアックな音楽だったんですけども、それをいたく植松(伸夫)さんが気にいってくださって。面接のときも、プログレの話で盛り上がったんですよ。
—— どんな話をされたんですか。
菊田 アラン・ホールズワースというマニアックなギタープレイヤーがいるんですが、当時はその人の影響を非常にうけていたんです。ホールズワースっぽいギターをどうやったら再現できるかという話で、植松さんと盛り上がったりしました。
—— 植松さんは、菊田さんのデモを聴いてプログレが好きだと分かったわけですね。
菊田 そうそう。すぐ分かったらしいです。
—— 洋楽に詳しくないので、おそるおそる聞かせていただきますが、菊田さんはプログレはずっと前からお好きだったんですか。
菊田 プログレは、もうずっと好きですよ。高校の頃からずっと好きで、イエスは中学校の頃から聴いてました。
—— その頃から、邦楽より洋楽を聴いていたんでしょうか。
菊田 その頃は、邦楽という概念はあまりなかったんですよ。
—— あ、なるほど。J-POPとか全然なかった時代ですものね。
菊田 もうまったく、影もかたちもなかったですね。日本の音楽の話でいうと、僕はもともとフォークの人間だったんですよ。小学校の頃には、フォークソングを聴いてました。高田渡、遠藤賢司、友部正人あたりを聴いていて、そこからニューミュージックにいく流れですね。吉田拓郎、泉谷しげる、小室等とか。それと同時に洋楽方面のロックにいく流れがあって、僕は両方とも聴いてたんです。洋楽はプログレが1973年あたりから盛り上がってきていて、ピンクフロイドやイエスもその頃から聴き始めました。(キング・)クリムゾンは、その頃は聴いてなくて、あとから聴いた感じですね。あと、その頃はクロスオーバーといってたんですが、ジャズ・ロックがクロスオーバーを経て、フュージョンになっていったんです。ハービー・ハンコックとか凄く聴いてましたよ。その辺りの音楽を、東西問わずあれこれ聴いていたのが、自分にとっては大きかったと思います。当時は時間がいっぱいありましたからね(編注*)。

編注*菊田さんの音楽遍歴やプログレから受けた影響は、『レコードコレクターズ』2016年5月号の特集「70年代プログレッシブ・ロックの叙情性」内のインタビュー(聞き手は立川芳雄氏)で深く語られている。

—— SFの話と同じで、音楽も日本に入ってきたものを沢山浴びるように聴かれていたわけですね。
菊田 新しいものや面白いものに飢えてましたからね。中学校の頃に、シンセサイザーに初めて触れたのも大きな体験でした。いろいろな事情があって手にしたんですけどね。電子音楽も、僕の上の世代になると、ほんとに最初の世代の方々になりますから。
—— 『電子音楽 in JAPAN』(田中雄二 著)などを読むと、電子音楽の歴史は、日本にコンピューターが入ってきた歴史と同じぐらいまでさかのぼれるそうですね。
菊田 さかのぼれば、ウェンディ・カルロスの「スイッチト・オン・バッハ」までいくんでしょうけど、大きくいうと冨田勲先生の「月の光」からでいいんじゃないかと思います。その辺りから、ずっと聴いていましたね。MOOG(ムーグ)のでっかいシステムだったり、スイッチがいっぱいついている機械をみて「これがシンセサイザーというものか」と憧れるっていう。
—— 中学生の頃からシンセサイザーをさわって、曲を作っていたんですか。
菊田 多重録音で作ったりしてましたよ。中学の頃は、ラジオで色んなものを聴いてましたね。FM放送の予定表をチェックして、何時何分からあの番組が始まるからって正座してラジオの前で待っていたりして。あの頃は、色んな人が色んな表現をしていて、凄く自由で面白いものを聴いたなって気がします。エマーソン・レイク パーマーの「展覧会の絵」がリリース(1971年)されたときにラジオで聴いたのを覚えてますけど、あれは小学校の頃じゃないかな。
—— すみません。私には分かりませんが、有名な曲なんですね。
菊田 とってもエポックメイキングな音楽だったんですよ。プログレの歴史の中でも、非常に大きなものでした。
—— 菊田さんの作る音楽は、それこそケチャを使ったり、色々なものを取り入れられていますが、その中でプログレは、ひとつ大きなものとしてあるんですね。
菊田 プログレの影響は大きいですね。ケチャも中学校の頃に聴いて非常に衝撃をうけたんですよ。芸能山城組ですね。
—— 芸能山城組のライブは、一度聴いたことがあります。音の洪水のような感じで、凄くインパクトがありました。
菊田 あの人達の凄いところは、一環してアマチュアとして活動されているところなんですよね。色々な民族音楽をもってきては演奏するっていうことをやってらっしゃって。僕が惹かれる音楽というのは、「何をしてもいい」というものなんですよ。ポップスでいうと、Aメロ、Bメロ、サビがあってっていうフォーマットに乗っかってやる音楽みたいなものがあって、それはそれでいいとは思うんですけど、そんなものを全部吹っ飛ばした自由な表現があってもいいじゃんって思うんですよね。そうした自由な表現があって、それを聴いた人が「うわあ」と思えたら、それは成立しているんです。「どんなものを作ったって、ほんとはいいんだぜ!」っていうのが好きなんですよ。だから、ゲームの中にケチャを入れてもいいじゃんっていう。そういう話なんですよね。

プログレの魅力は「自由であること」

—— ゲーム音楽の話は聞かないつもりでしたが、プログレの話がでたので聞かせてください。『聖剣伝説2』の中ボスバトル曲の「危機」が大好きで、当時ゲームをプレイしていて凄くショックを受けたんです。あの曲はプログレなのかなと思ったんですけど、どうなんでしょう?
菊田 うーん。プログレという風に言えはしますけど、あの曲については、自分としてはむしろ音楽の中にドラマを取り込みたかったんですよね。遊んでいる子供達が、今どんなことを考えて、どんな感情をもって遊んでくれているかという気持ちの動きを、音楽の中に入れこみたかったんですよね。
—— 「危機」は、最初に激しいイントロがありますよね。あそこは、アクションRPGということもあって、プレイヤーも何がなんだかわからない感じがしているのとシンクロしているなと思ったんです。しばらくして攻撃パターンがわかってきて落ち着いてきたところで、音楽もメロディが入ってくる。菊田さんのいう「音楽の中にドラマを取り込む」とは、そういうことですか。
菊田 そういうことですね。プレイヤーの気持ちに、ちゃんと乗っかってあげるということをやりたかったんですよ。ただ音楽が鳴っているのではなくて、遊んでいる人の気持ちを代弁し、支え、一緒に戦ってあげる音楽なんだぜ、というのをやりたかったんですよね。プレイヤーの気持ちに寄り添うことが、当時いちばんやりたかったことだったんです。他の曲についても同じ心がけで作っていました。だって、スーパーファミコンのソフトって高かったじゃないですか。
—— 定価で10000円ぐらいしました。
菊田 子供が買える値段じゃないですよね。盆暮れ正月とか、テストでいい成績をとったときに、お父さんお母さんにお願いして買ってもらうものだったはずです。そうやって一生懸命頑張った結果、手に入れて遊ぶものだから、それに応えなきゃ嘘ですよね。そういう色々な想いを全部ちゃんと受け止めて、「どうよ! 面白いでしょ」というぐらいの表現をしなければ嘘だよなと思ってましたね。「危機」については、初めて中ボスにあたる子供達の気持ちを僕は分かっている。だから、こうやってちゃんと音楽も一緒に戦っているんだよっていうことを、音楽で表現したかったんですよね。
—— 折角ですので、菊田さんにとってプログレとはどういうものなのか聞かせていただけませんか。自分なりにプログレと言われている音楽を幾つか聞いてみたのですが、どうもよくわからなくて……。
菊田 色々な人の考え方があって、正確な言い方はないと思いますが、僕の中ではプログレってスタイルではないんですよね。「自由である」というのが、まず第一なんです。「自由」というのは、分け隔てなく色々な可能性をとりこむ柔軟さのようなものというか。フルートが入ってきてもいいし、民族楽器が入ってきてもいい。その表現が面白くて魅力的だったら、何を入れてもいいわけです。今までの話にはでてこなかったですれど、マイク・オールドフィールドという人が、今話したようなことを体現した3部作があって、『Tubular Bells』(編注:楽曲の一部が、映画『エクソシスト』のテーマ曲として使用)『Hergest Ridge』『Ommadawn』というのがあるんです。この人のことは知っています?
—— すみません。プログレ界では有名な方なんですか。
菊田 この3部作をプログレというのかはちょっと難しいんですが、でもこれはプログレよりもプログレらしいものなんです。ポップで親しみやすい曲なんですけれどアートなんですよね。3曲ともマイク・オールドフィールドが、多重録音で何百回も繰り返して楽器を入れて作った曲なんです。聴くと分かると思いますけど、これが物凄くいいんですよ。
—— 3部作を聴くと、変遷がわかる感じですか。
菊田 分かると思いますよ。マイク・オールドフィールドの精神性みたいなものは、僕にとってプログレというジャンル以上に大事なものがありますね。精神世界だからこそ自由なんだということでもあるし、音楽には何を入れてもいいんだっていうことでもある。で、大事なのは、そのうえでいかに人を魅了するかっていうことでもあるんです。とっても情感豊かに進んでいって、自由に展開していく音楽っていう……言ってしまうと、世界そのものが音なんですよね。音と世界は不可分なもので、世界でおこることも全部音楽や音だったりする。だから、ゲームの音楽を作るときも、本当は世界と一体化したようなかたちで、音がその時の気持ちとともに流れていくのが理想だなと思っているんですよ。『聖剣』の音楽を作るときも、そういうものを目指していたつもりです。
—— 菊田さんがプログレがお好きなのは、自由で、何ものにもとらわれず色々なことができる姿勢がなんですね。
菊田 今の話を突き詰めると、「こういう音楽です」というものはないということなんです。逆の言い方をすると、「こういう世界だから、こういう音なんだ」ということなんですよ。
—— 因果関係が逆なんですね。表現したい世界が先にあると。
菊田 そう。「世界がこうだから」という話なんです。だから、例えば変な話、今僕のところに「『聖剣』みたいな音楽を作ってください」という話がきたとしますよね。その依頼は間違っているわけですよ。
—— そういう依頼をしたくなる気持ちも分かる気がします。
菊田 もちろん分かるんですけどね。でも、それだったら、『聖剣』みたいな世界をまず作ってほしいという話になるんです。あの世界に合う音楽はああいう風になりますからと。世界が違うのに『聖剣』みたいな音楽を求められても、それは違いますよね。僕は世界に寄り添う音楽を作るのが仕事で、それが素敵なことだと思っている。言ってみれば、僕は「世界の音を作る人」なんですよ。
—— 今のお話で、菊田さんの音楽観の一端がわかった気がします。コミケで出されているCDは、ゲーム音楽とは違って、音楽を聴いて世界を感じてほしいという狙いがあるわけですね。
菊田 そうですね。僕の中でテーマを決めて、それに寄り添うものを作ろうと思った曲ですから。
—— 音楽を聴くことで、何かしらの世界を感じるという。
菊田 そうそう。自分の中では、世界と音が一体化しているものですから。
—— ゲーム音楽や、結城二十六名義で作られたアニメの音楽の場合は、他の人達が作った世界がまずあるわけですよね。
菊田 ディレクターが世界をもっているわけですから、それに寄り添うのが仕事ですよね。その世界をいかに音に翻訳して、その世界の音を生み出すか。そこを完璧に、ちゃんとしたものを生み出したいっていうのが僕の仕事だし、希望ですよね。だから、『聖剣2』も『3』も、そういう世界だったということです。あの音楽は、僕ひとりの力で作ったわけではなくて、そのもととなる世界を作った人達がいっぱいいるわけですから。
—— クリエイターによって作られた『聖剣』の世界が、菊田さんにあの音楽を作らせたと。
菊田 そうですね。もちろん僕だからこそ、あの世界の音を作れたんだという自負もあるんだけれど、世界自体を作った人達の力も本当に凄いですからね。その両方がないと、あそこまでにはいたらないっていうことなんだと思います。
—— 菊田さんにとって、ゲーム音楽作りの面白さは、クリエイターが作った世界との関係が、かなり大きいわけですね。
菊田 大きいですね。ゲームって自由度が高くて、ある意味いい加減なものだから、どんな世界でも自由に作れるじゃないですか。遺跡の中に地下鉄があったりして、よく考えると「なんで?」っていう世界観も成立してしまう。あまり理由を求めずに、どんどんいってしまうその自由さって凄いと思っていますからね。

『シークレット・オブ・マナ』は2週間の精神の記録

—— 「プログレの魅力は自由」という話を聞いて、『聖剣2』のアレンジアルバム『シークレット・オブ・マナ』のことを思い出しました。これまでのスクウェアのアレンジアルバムは、ケルト音楽やジャズ風味のものだったので、『聖剣』もそういう方向性でくるのかなと思ったら、なんとご自身が作った50分弱の1曲だけで。
菊田 (笑)。
—— あのサントラは、まさに自由だと思いました。ただ、正直言うと当時はちょっとガッカリしたといいますか……。
菊田 しますよね。分かります(笑)。
—— すみません。今になってみると、貴重な体験をさせてもらったなと思うんですけれど。
菊田 確かに、当時あれを聴かされたらかなわないですよね。子供達にはごめんなさいって思います。
—— 最近リリースされた、ご自身によるリアレンジアルバム(『シークレット・オブ・マナ・ジェネシス』)の方が、当時期待されていたものに近かったように思います。
菊田 それは、そうでしょう。
—— 『シークレット・オブ・マナ』は、どうしてああした作りになったのでしょうか。賛否両論になることは菊田さんも重々ご承知だったと思います。
菊田 いやあ……。あのアルバムには色々な事情があって、一口では言えないんですよね。ただ自分の中でいうと、結局あれは仕事という次元ではなかったんです。自分の責任と裁量で好きにやらせてもらうことによって、本当に自分のやりたいことだけやったというか。言い方を変えると、2年間、『聖剣2』の世界に寄り添って、全ての音楽をきっちり作り終えた過程で捨てられた全てでもあります。
—— なるほど。
菊田 「これは合わないから」とか「これはゲームの世界としてはちょっとどうかな」みたいな、色々な事情で横にのけて捨てられた全ての音を重ね合わせてひとつのものにしたのが、たぶん『シークレット・オブ・マナ』だと思います。ゲームの音楽からはみ出したものですよね。
—— コミケで出された『天人草奇譚』もそうでしたが、菊田さんは音楽の中に環境音やセリフをいれられることがありますよね。『シークレット・オブ・マナ』にも環境音が沢山入っていました。
菊田 水の音を入れたり、そこに人がいる気配をいれたりしてましたね。そうやって、想像していけるものがあるといいなと思っているんですよ。音楽に耽溺するのではなくて、音楽の際(きわ)のようなところから発想や世界が広がって、色々なものが見えてくるという。音が鳴った瞬間、そこに見えるものがあってほしいんですよね。「お前は今、音楽を聴いているんじゃない。世界の中にいるんだ」と。そして、「それは全て、僕が作ったイマジネーションの世界なんだ」っていう。その圧倒的な密度みたいなものが表現できればと思って、あのアルバムは作っていたんです。もちろん、それは子供にはいい迷惑なわけで申し訳ないんですけれど。
—— とんでもないです。ただ当時、「えっ、なんだこれは」と思った衝撃は忘れられません。
菊田 ほんとに「なんだこれは」ですよね。ただ、それから何年もしてから、もしまた聴く機会があったとしたら、あのアルバムで何が表現されているのか分かるかもしれないし、色々な意味もでてくるんじゃないかなとも思うんです。あのアルバムを作るときは、コンピューターとキーボードをもって新宿のTAKEONEというレコーディングスタジオにこもったんですよ。で、頭の一音から最後の一音まで、順番にひとつひとつ作っていったんですよね。あのアルバムを作るのに、2週間かかりました。
—— 2週間ですか。
菊田 毎日スタジオにこもって2週間ですね。エンジニアの水谷勇紀君をはじめ沢山のスタッフがいるなか、ひたすら黙々と作り続けて……。もう、なんというか集中力という言葉では言い表せないような何かの中にいましたね。そういう状態にいるぐらい、自分の中での熱みたいなものは高かったんです。だって、一瞬も迷わなかったですからね。頭の一音から始めて、ひたすら作り続けてました。
—— ゾーンに入っていたという感じでしょうか。
菊田 そうかもしれませんね。こうしようああしようではなくて、もう混然となってできあがったものが頭の中にあって、キーボードを前にしたときに順番にでてくるという。だから、あの40何分の音楽というのは、その2週間の僕の意識の流れでもあるわけです。
—— なるほど。
菊田 当時の精神状態だったり記憶だったりが、そこに全部記録されているわけです。その何パーセントかは聴いた人に伝わっているんじゃないかと思います。だから、いまだにあのアルバムを好きだといってくれる人が多いんでしょうね。綺麗なもの、美しいもの、醜いもの、まがまがしいもの……なんでもいいんですが、あるレベルを越えてくると、ゲーム音楽としてはそぐわなくなるわけです。その世界のフィールドからはみ出すものは、ゲーム音楽の中には入れてはいけない。そうやってメーターを振り切ってしまったものが、いっぱいあったんですよね。それらをゴチャゴチャにあわせていったものが、あのアルバムなんです。あそこには色んなものが入っていますけど、突き抜けているはずですよ。自分でも、よくこんなものが作れたなあと思いましたから。たぶん、その瞬間の自分の心がそういう状態にあったんでしょうね。

全力で一生懸命にやることは無駄じゃない

—— もうひとつ、当時印象的だったのは『聖剣2』サントラのライナーノートでした。他の作曲家の方のコメントはさらっとしたものが多かったなか、あのライナーはなんだか檄文みたいな迫力がありました。
菊田 そうそう、よく分かっていますね(笑)。あれは檄文なんですよ。
—— あのライナーも「なんだこれは」と思わされて、これを書いた人はどんな人なんだろうと興味がわきました。
菊田 いまだに僕の中には、「お前らはどうなんだ?」と問いかけるようなアジテーター気質があるんですよね。それは音楽もそうだし、今言ってもらったライナーのような文章でも同じです。物事に真剣に挑んでいくことが、結局そういうところに繋がっていくのかなと自分では思っています。『聖剣2』サントラのライナーだって、当然あんなことを書いてもゲームをプレイした子供達にはわからないですよね。でも、彼らが大きくなっていったときに、だんだん分かることがあるはずなんですよ、絶対に。
—— そう思います。
菊田 そうなったときに、子供達が「あ、菊田はこういうことを言っていたのか」と思ってくれたら、きっと何かのきっかけになるじゃないですか。
—— 『聖剣2』の曲名もそうですよね。菊田さんが好きなSFのタイトルになっていたりして。
菊田 あれも、色んなきっかけになってほしいというのが大きいです。そういう時限爆弾のようなものを沢山しかけて、つまるところ、そいつらの人生をかえてやろうって思うんですよね。
—— 私も、ちょっと変えられているところがあると思います。
菊田 それは有り難うございます(笑)。そういうことって、やっぱり嬉しいですよね。自分が作ったものが、いろんな形で人の人生に影響していくっていうのは。……この間も別のところでした話なんですけども、僕はずっとコミケでスペースをだしているじゃないですか。そこで今までに2回あったことなんですが、女の子が僕のスペースまで走ってやってきて、目の前で「私はあなたの音楽を聴いて救われてました」と言って号泣されたことがあるんです。「イジメにあって自殺することも考えたけれど、そのときにあの音楽を聴いて、何か力みたいなものを感じて死なないで済んだ」と。そういって泣いてくれた人がいるんですよね。(少し間があって)……そういうことがあると、やってて良かったと思うじゃないですか。
—— 凄い話ですね。
菊田 その曲は、その人のためにかいたものじゃないですよ。でも、その曲に僕がつっこんだものだったり、自分の人生をまるまる入れてエネルギーにしたものが、何らかのかたちで伝わったから、その人の人生が変わったわけですよね。僕の音楽のおかげで、真っ暗だったところに、少しでも光がさしたんだったら、それは最高じゃないですか。やってて良かったなって思いますよね。もし、僕がちょっとでも「ゲームの音楽なんて」とか「仕事だから」みたいに思って作っていたら、そうはならないはずです。そんなことは、これっぽっちも思わずに一生懸命やっていたから、そういうことが起こったんだと思います。だから、ゲーム業界にかぎらず若い人たちに言えるのは、本当に真剣に自分の全てをぶちこんで真っすぐにやっていたら、どこかでちゃんとそれに見合うことはありますよってことですね。僕自身にそういうことがあったから、これは確実に言えます。
—— 環境や条件は言い訳にしないで一生懸命に、ということですね。
菊田 全力で一生懸命にやることは、本当に無駄じゃないですよ。必ずその結果というか、応えてくれるものはあります。それは今じゃないかもしれないし、何年か先のことになるかもしれないけれども、いつかそれに見合うものがやってくる。それはハッキリ言えます。
—— お話を伺いながら、どうやって取材を着地させようかと思っていましたが、良い話がきけたところで締めたいと思います。長時間のお話、有り難うございました。
菊田 いえいえ。こちらこそ有り難うございました。

Information
菊田裕樹さんとギタリスト佐々木秀尚氏によるプログレユニット「ANGELICFORTRESS」のコンセプトアルバム、2083ショップで販売中。
http://shop.2083.jp/?pid=97646687

ゲーム音楽コンサート「NJBP Live! #5 ”Enhancement”」、6月26日(日)に北とぴあ つつじホール(東京都北区王子)にて開催。菊田裕樹さんがゲスト出演し、「聖剣伝説2」「聖剣伝説3」の楽曲を特集。
http://njbp.org/concert/live5/