組織を作らなきゃ駄目だなと思った
『アニメを仕事に!トリガー流アニメ制作進行読本』著者 舛本和也(第3回)

第1回第2回に続き、制作進行の仕事について伺っていく第3回。舛本さんがガイナックスに入社することになった経緯や、トリガー設立前後のエピソードをお話しいただいた。

Profile
舛本和也 Kazuya Masumoto
株式会社トリガー取締役、プロデューサー。主な参加作品に『天元突破グレンラガン』『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』(上記2作はガイナックス在籍時)『キルラキル』『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』などがある。

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『ナディア』を観て、制作スタッフを初めて意識

—— ガイナックスに入られたきっかけを教えてください。
舛本 いくつかの偶然が重なって、入らせていただくことになったんですよ。ひとつは辞める時期ですね。メルヘン社がグロス請けしていた『鉄人28号』の劇場版(『鉄人28号 白昼の残月』)を担当していて、それが1月に終わる予定だったんです。その時点で、この仕事が終わったら会社を辞めることは決めていて、ただ次の会社はまったく決めていなかったんですね。だけど、その仕事が7月まで延びちゃったんですよ。
—— 辞められる時期が半年ずれたんですね。
舛本 請け負った仕事ですし、それは仕方ないってことで最後まで担当してから辞めたんです。で、本当は1カ月ぐらい休もうと思っていたんですが、たまたま専門学校時代の先生に辞めたことを報告したら、「今、ガイナックスが人を募集しているらしいよ」と教えてくださったんです。それで書類を送って、面接していただいて、たしか8月の10日か15日くらいに入社することになりました。
—— 知り合いの紹介とかではなく、普通に応募して入社されたんですね。
舛本 そうです。『鉄人』が予定どおり1月に終わっていたら、たぶんガイナックスには入っていなかったと思います。映画の制作が7月までずれて、その後、たまたま専門学校時代の先生に電話をしたから入ることができた。
—— ガイナックスに入っていなければ、今トリガーにもいらっしゃらなかったかもしれませんね。
舛本 そうですね。ほんとにたまたまでした。そもそも僕がアニメーション業界を目指すきっかけは、ガイナックスの作品だったんですよ。ただ、好きではあったものの、アニメ業界に入ってからはガイナックスの仕事ができるとはひとつも思ってなかったんです。僕が応募した頃のガイナックスは『トップをねらえ2!』を作っていて、次のテレビシリーズを自社で作るために制作部が立ち上がっていたんだそうです。で、人がいないから、制作進行を増やそうと経験者を募集していて。面接は、今はミルパンセの代表をされている白石(直子)さんと、当時は制作で、今は『パンチライン』の監督をしている上村(泰)さんにしていただきました。
—— ちなみに、いちばん最初にご覧になったガイナックス作品はなんだったんでしょう。
舛本 最初に観て衝撃的だったのは、『(ふしぎの海の)ナディア』だったんです。14歳のときでした。初めて作っているスタッフの名前を意識したのが、あの作品だったんですよね。庵野(秀明)さんのお名前だったり、摩砂雪さん、鶴巻(和哉)さんといったスタッフの方々を知って、「ガイナックスって凄い!」と思ったんです。

作品にたいする愛と一体感で作った『グレンラガン』

—— ガイナックスに入って、『グレンラガン』では制作デスクを担当されていますよね。念願だったチームを作る仕事を、がっつりやられた感じなのでしょうか。
舛本 正直にいうと、『グレンラガン』でその大変さを痛感したっていうのが大きいです。僕自身、デスクの仕事をするのが初めてだったし、下にいる子たちも、ガイナックスが今お話したような状況だったので新人ばかりだった。教えることも見よう見まねでやったんですけれど、実質的なことを言ってしまうとほとんどできなかったんじゃないかと思います。
—— そうなんですか。
舛本 当時ガイナックスにいた制作進行は、瀬古(浩司)君、徳土(大介)君、面接していただいた上村さん、安達(えみ)さん、清原(良太)君の5人ぐらいだったと思います。瀬古君は最初からシナリオライター志望で、今は『進撃の巨人』のシナリオを小林靖子さんのもとで書いてますね。徳土君は『終わりのセラフ』の監督、清原君は今ガイナックスでプロデューサーをやっています。『グレランガン』の時に色々乗り越えた人たちは今、自分のやりたいことをできるようになっていますが、僕が彼らに何かを教えられたかというと、十分な教育はできなかったなと思います。中途半端なかたちにしかできなかったと、自分の力不足を痛感しました。
—— どういったところが十分ではなかったのでしょうか。
舛本 まず、僕自身がいっぱいいっぱいだったんですよ。初めてのデスク業務で、1年間休みなしで仕事をしている状態でしたし、もう色々なことがあって……。あの頃の僕は、デスクとしての先見力が全然なかったですね。それを、作品のもつパワーのおかげで皆さんが集まってくれて、フォローして下さったというのが実際のところです。平松(禎史)さん、大塚(雅彦)さん、鶴巻さんたち、ベテランの方々が周りでみてくれていて「大丈夫か?」と助けてくださった。また、当時20代後半の若手だったキャラデの錦織(敦史)さんを始め、すしおさん、久保田(誓)さん、柴田(由香)さんたちが一緒にやろうと言ってくれた。デスクとしてマネージメントをしたというよりは、ただただ周りの人が助けてくれたっていうのが大きかったですね。もうひとつ大きかったのは、作品にたいして皆さん本当に前向きだったということです。スケジュールはガタガタで、現場の状況は今誇れるようなものではなかったですけれど、作品に対する愛ですとか、足りないところがあるからこそ、みんなで助け合っていこうという一体感が凄くあった。それが『グレンラガン』という作品ができた要因のひとつだと思います。けれど、制作に携わるマネージメントする立場として、プロの仕事ができたかというと、まったくできていない。新人教育も本当に全然できていない状況で、新人の子たちが自分たちで考えてなんとか乗り切ったというのが現状だと思います。単純に彼らのポテンシャルが高かったというだけで。
—— 次の『パンスト』では、その経験をいかされた?
舛本 一回、ほんとに組織を作らなきゃ駄目だなって思いましたね。『パンスト』を作るときには、事前にちゃんとカリキュラムを組んで、1年計画で5人の制作の子たちを育てることをやりました。『グレンラガン』が終わってすぐに5人の新人を入れて、丁寧に教えていって、ちょうど2本目か3本目に担当するタイミングのときに『パンスト』がくるっていう風にして。みんな社交性の高い子たちだったんで、教えるなかで中のスタッフとの関係性も作れて、演出さんや作監さんとともに、その話数をどうやって作っていけばいいのかっていうことができた。そこは上手くいったんじゃないかなと思います。
ただまあ、スケジュールはギリギリになっちゃいましたけどね。今石さん、錦織さん、大塚さんたちと作ると、どうしても時間がかかってしまうので。『パンスト』は、『グレンラガン』とは別の意味で大変だったんですよ。あれってオムニバスの各話監督制のような感じで作っていたので、話数によって作り方が全然違うんです。『グレンラガン』と同じ制作体制だったら、大変なことになっていたでしょうね。この話数に入った人は次にこの話数に入ってもらおうとか、この演出さんにはこの作監さんをアテンドしようみたいな、制作進行やデスクがやらなければいけないマネージメントの仕事は比較的上手くいったんじゃないかと思います。

トリガー設立——自分たちの作品を作るために

—— 折角ですので、『パンスト』の後、トリガーの設立に参加された経緯も聞かせてください。
舛本 僕はあとから呼ばれたというか、今石と大塚から「会社を作ろうと思うんだけれど、マネージメント業務をする人間が必要だから、一緒にやらないか」と誘われて参加したというのが経緯になります。なので、これはあとから聞いた話ですが、『パンスト』が終わって、今石の次の作品を作ろうというときに、いつまでもガイナックスという会社の規模や財産を使って自由にやらせてもらうというのは、ちょっと違うんじゃないかという疑問が今石と大塚の中であったそうなんです。作家性の強いものを作らせてもらった『グレンラガン』や『パンスト』でも、やはり「ガイナックスの〜」という枕詞が最初にくる。でも、それは当然なんです。ケツもちをガイナックスがしているわけですから。「自分たちの作品を作る」ためには、自分たちでケツをふくことが必要なんじゃないだろうか。企画をたてて、制作費をいただいて、赤字がでたときのケツふきも自分たちでする。それが本当の意味でのものを作ることであり、独立したクリエイターなのではないか。そういう考えが2人にはあったそうです。
—— トリガーで、舛本さんは取締役でもありますよね。これまでとは違って、制作デスク的な人を育てるような立場になっているんじゃないでしょうか。
舛本 そうですね。
—— 今度は「人に教える人」を育てるわけですよね。マネージメントとしてさらに難易度が高いと思いますが、その辺りの切り替えは、どうされているのでしょうか。
舛本 ほんと、そうなんですよね……(苦笑)。実をいいますと、トリガーをたてて『キルラキル』を作りましょうとなったところまではよかったんですが、現場のマネージメントは大きく失敗したんですよ。
—— そうなんですか。
舛本 『グレンラガン』のときよりも上手くできなかったな、と思いましたね。僕にとっては、いちばんのトラウマになるぐらい大きく失敗してしまった、という思いがあります。
—— 初めての会社で、初めて作る作品ですから、色々なご苦労があったと思います。
舛本 すべては結果論ですし、言い訳にはなるんですけれども、今言われたようなことは要因としてあったと思います。会社を運営していくのは初めてでしたから。経理をみたり、会社の来年、さ来年を考える3年計画をたてて、仕事を配置していったり、そういうことをしなければいけない立場になった。それにくわえて、現場をみるっていうのは、けっこう辛かったですね。
ここまで、ずっと僕ひとりでやってきたように話をしてしまっていますが、実は堤(尚子)という人間がいて、『グレンラガン』のときから、彼女と二人三脚でやってきているんですよ。『パンスト』のときはデスクが堤で、僕はアニメーションプロデューサーという肩書きをいただいていました。で、トリガーでは堤と一緒に制作部をたてたんです。
—— 堤さんは、『リトルウィッチアカデミア』で初めてプロデューサーをされた方ですよね。
舛本 ええ。『グレンラガン』や『パンスト』の現場についても堤の存在が本当に大きくて、彼女がみんなをまとめあげていたのも事実なんです。僕と堤は正反対の性格で、仕事の仕方がまったく違うんですよ。僕は理性的というかカチッとしているのにたいして、堤は物事を鋭い勘でとらえて、突発的に処理してしまう人間なんです。ほんとに真逆で、だからこそ自分たちの足りない部分を補完しあえるところがあって、それが上手く働いたのが『パンスト』だったんです。『キルラキル』も、またお互いそういうかたちでやろうっていうのがあったんですけどね。『グレンラガン』から6年、『パンスト』から3年経っているので、作品に求める熱量が物凄いことになっていて。スタジオの中にいるスタッフの皆さんのモチベーションが非常に高くて、とてもじゃないけど、これはテレビシリーズじゃないよっていうことになって……。
—— 制作の方への負担が相当なものになったんですね。
舛本 僕と堤は今までの経験値があったんで、なんとか乗り越えられたんですが、入社1年目で初めて進行をやるって子には、ちょっとハードすぎた作品でした。教育自体もほとんどできなかったし、彼ら自身にも負担をかけすぎました……本当に。『パンスト』まで、制作で辞めた子はいなかったんですよ。『キルラキル』で、初めて半分以上が辞めました。
—— 『グレンラガン』を切り抜けた方々がステップされているように、舛本さんとしては今後も活躍してほしいという気持ちがあったわけですよね。
舛本 ほんとにそうです。制作進行の仕事はあくまで入り口で、自分のやりたいことを叶えるために、地道な経験値をつむ時期ですから。辞める子をだしてしまったのが、僕らにとっては一番のショックでした。

<最終回を読む>

Official Website
トリガー
http://www.st-trigger.co.jp/

星海社
http://www.seikaisha.co.jp/

Book Information
アニメを仕事に!トリガー流アニメ制作進行読本
舛本和也 著
星海社
価格:820円+税
「ジセダイ」内の内容紹介
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