1999年12月16日、初代プレイステーションのRPGとしてSNKから発売された『クーデルカ』。『聖剣伝説2』『3』の音楽などを手がけた菊田裕樹氏がスクウェアから独立して立ちあげたサクノスが開発を手がけている。同作で菊田氏は、企画・総監督・脚本・音楽・ムービー絵コンテなどを手がけ、『クーデルカ』の世界を作りあげた。
物語の舞台は19世紀末の1898年10月31日、イギリス・ウェールズ。19歳の霊媒師クーデルカ・イアサントが、冒険家のエドワード・プランケット(のちのロード・ダンセイニ)、司教のジェームズ・オフラハティーと、闇と死と神秘に満ちたネメトン修道院で一夜の冒険を繰り広げるホラーストーリーで、切り裂きジャック事件、ロジャー・ベーコンなど実在の事件や人物などもモチーフとして盛りこまれている。イベントムービーには発展途上の技術だったモーションキャプチャーが用いられ、当時としては画期的な試みが多くなされた意欲作だった。戦闘部分がこなれていないなど荒削りな部分はありつつも、その世界観やストーリーに魅了されたファンは多い。
スクウェア入社前に結城二十六名義で漫画家として活動していた菊田氏は音楽だけでなく、作品づくりや演出志向のあるクリエイターでもある。発売から四半世紀以上が過ぎた今、あらためて菊田氏に『クーデルカ』について語ってもらった。
※本記事は、2025年末の「コミックマーケット107」で頒布する紙の同人誌新刊『27年目のクーデルカ』に収録したインタビューの試し読みです。全体約1万5000字のうち冒頭約4500字を掲載しました。続きを読みたいと思われた方は、恐縮ながら『27年目のクーデルカ』をお買い求めください。同人誌には、菊田裕樹さん執筆の『クーデルカ』テキスト資料集のほか、菊田さんが描いた『クーデルカ』ムービー絵コンテなどの画素材も掲載されています。
「コミックマーケット105」2日目の2025年12月31日、AniKoのスペース「水-東ソ58a」で頒布します。
(2026年1月4日追記)メロンブックスで通信販売中です(https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=3430172)。
Profile
菊田裕樹 Hiroki Kikuta
作曲家。1962年、愛知県生まれ。スクウェア(現スクウェア・エニックス)在籍時に『聖剣伝説2』『聖剣伝説3』『双界儀』の音楽を担当。独立後も、『シャイ ニング・ハーツ』『インディヴィジブル 闇を祓う魂たち』『聖塔神記 トリニティトリガー』等、多数のBGM作曲を手がけるなど多方面にて活躍。X(ツイッター)アカウント(https://twitter.com/Hiroki_Kikuta)。
生演奏で作った『双界儀』の音楽
―― 菊田さんに最初に取材をしたときは、菊田さんがスクウェア(現:スクウェア・エニックス)に入社されるまでの活動が中心でした(編注)。今回は、菊田さんがスクウェアを離れられる直前あたりからお話をうかがえればと思います。
編注:ウェブマガジン「AniKo」掲載の左記インタビューを参照
『ビーグル号』の総合科学者に憧れて 作曲家 菊田裕樹(第1回)
http://ani-ko.com/50-kikuta01
菊田 分かりました。……何をどう話せばいいのか、ちょっと難しいですけどね。
―― 菊田さんが音楽を担当された『聖剣伝説2』『3』はスーパーファミコンでしたが、次に担当された『双界儀』はハードがプレイステーション(以下、PS)に代わりましたよね。それによって菊田さんのお仕事のされ方も変わったんじゃないかと思います。
菊田 PSが登場したときって、色々な会社から大小ふくめて沢山のソフトが出たじゃないですか。ソニーが新たに立ち上げたハードだから、とにかく色んなソフトがほしいということで、それっていいことだったと思うんですよね。そこで売れようが売れまいが、とにかくいっぱい作ってもらって、そのなかからちゃんと残っていくものがでてくるのが本来の考え方だと思いますから。そういう流れのなかで色々な仕事が立ちあがってきて、じゃあどれをやろうみたいな感じになっていた頃でした。
―― それで、『双界儀』をやることになったのですね。
菊田 そうそう。ユークスといって、プロレスのゲームを作っていたところでね。
―― あ、そうか。実制作は別の会社なんでしたね。
菊田 そうです。スクウェア社内では作っていませんから。
―― 音楽は、スクウェアから菊田さんが参加されるというかたちだったのですね。スーパーファミコンからPSに変わって、『双界儀』の音楽は生演奏になりました。これは菊田さんのなかで大きな変化だったんじゃないでしょうか。
菊田 僕自身の姿勢は変わらなくて、『聖剣伝説2』のときはスーファミというハードで最高のものを作ろうと思って取り組み、『双界儀』のときもPSというか、生音を流すゲームの音楽の最高峰を作ろうと思いながら物凄く気合いをいれてやりました。できる限り最高のことをやったって感じですかね。
―― 『双界儀』は、今も根強いファンの方がいるゲームですよね。
菊田 天河(信彦)さん(※原案・監督)は今も付き合いがありますけど、彼のもっている世界観がとても魅力的でしたからね。ハード的な制約はあったものの、いい感じにゲームとして落としこめたんじゃないかと思います。
―― 『双界儀』のお仕事のあと、菊田さんはサクノスという会社を立ちあげて、RPG『クーデルカ』を作られます。イフの話をしても仕方ありませんが、そのままスクウェアで音楽を担当し続ける道もあったと思うのですが。
菊田 うーん……。結局、音楽以外のことも色々とやりたかったんですよね。損得で言えば、スクウェアに残って音楽だけ作っていたほうが得だったかもしれないけれど、それでもやりたかった。もともとが演出をやりたいタチの人間なんで、自分なりのゲームを立ち上げて、その世界や物語も作り、その演出もしてってことがやりたくて、スクウェア社内でもあれこれ動いてみたんだけど、当時の社内の状況としておそらく難しいだろうということが分かったんですよね。
―― 最近だと大きなゲーム会社でも社内ベンチャーのようなかたちで小規模のチームで作られるゲームもあります。勝手ながら、そういうふうにスクウェアで菊田さん発のゲームが作られても面白かったように思います。
菊田 今思えばそういう道もあったとは思うんですけどね。実際、企画書を作ったこともあったんですよ(編注:同人誌『27年目のクーデルカ』巻末に収録)。ただ、当時はそういう流れにはならなかったんですよねえ。
開発会社サクノスの立ち上げ
―― 『クーデルカ』については、ある程度企画ができてから会社を作ろうというより、まずは何か新しいことをやろうとご自身の会社サクノスを作った感じなのでしょうか。
菊田 そんな感じですね。会社を作った時点では『クーデルカ』の企画は影も形もありませんでしたから。
―― そうなのですね。
菊田 根回しをし、チームを作り、スポンサーから出資してもらって会社を立ちあげるというところから始めましたが、そうした水面下の動き自体はだいぶ前から動いていましたから。
―― スポンサーが見つかったのは、それまでの菊田さんの実績や情熱があったゆえですよね。
菊田 それはどうなんでしょうね。そこはやっぱりスクウェアという会社のネームバリューや社会的信用もあったと思いますし、自分ひとりの力では全然ないですよ。色々な巡りあわせがあって、細かく話すのは端折りますが、運や巡りあわせ、人の縁みたいなものがあって、会社を作る流れになったというのが正しい感じです。今も昔も、僕ひとりが頑張ってもどうにもなるものではないですしね。
―― それでサクノスを設立されたわけですね。設立年は――。
菊田 1997年。『クーデルカ』発売の2年前ですね。
―― 会社を設立して2年で新規のゲームをだすのは、けっこうなハイペースですよね。
菊田 当時はそれぐらいのペースが当たり前だったんですよ。それに基本的にはそれぐらいのペースで作らないとゲームは駄目だとも思っていましたからね。
―― 時系列的なことを言いますと、『双界儀』の発売は1998年5月になります。
菊田 『双界儀』のレコーディングが終わった段階で僕はスクウェアを抜けてサクノスを作っているんですよ。マスタリングのときには会社にいなくて、退職した身として立ち会っていました。……僕にとっては激動の20世紀でしたね、あのときはまだ20世紀でしたから。
帰納的に設計した『クーデルカ』
―― 当時でた攻略本や資料集のインタビューなどで、菊田さんは『クーデルカ』を作ったきっかけを話されています。そのうえであらためて、ホラーの『クーデルカ』みたいなゲームをどうしてだそうと考えられたのか聞かせてください。
菊田 20年以上経っていますから物凄くリアルなことをお話ししますと“『クーデルカ』みたいなゲーム”ってことじゃないんですよね。ゲームって帰納法的に作られなければいけないもので、要はゴールまでの道のりが決まっているんですよ。ゴールという発売日が決まっているから、制作のあれこれはそこに当てはめて考えていかないといけないんです。
で、スケジュールは2年、予算はこのぐらいだとなったら、集められる人員はこのぐらいの人数と決まります。そうなると、人員の割り振りはこのぐらいで、グラフィック担当は何人でとなる。じゃあ、このグラフィック担当者たちで2年かけてどのぐらいの絵が作れるだろう……という具体的な数の話になっていくわけです。リソースとアウトプットの話になってきますから。
―― なるほど。よく分かります。
菊田 そうすると、RPGだったらキャラクターは何人登場させられるか、マップを何マップ作れるかが決まってきます。しかもPSでやるんだから2Dではなく3Dでやるとなると、限られたスケジュールと予算のなかで何ができるのか、大枠のふわっとした規模が見えてきちゃうんです。それをどういう風にマネージメントするかってことを考えていくと、普通のRPGみたいなものはとても作れないわけですよね。チームごと会社を移って作るわけではないし、手練れのスタッフが沢山いるわけでもない。これから育てていくような新しいスタッフとも一緒に作っていこうと考えたら、このぐらいの物量だったら大丈夫だろうという開発全体の規模感が最初にでてしまうんです。
大体マップの数はこのぐらい、これだけのマップ数でマネージメントできる物語の長さはこのぐらい。そこに何人のキャラクターをおいて、作ったマップを行ったり来たりさせて、バトルをさせ、全体でまとめる物語というのはこれぐらい……そんな風に考えていくと、大ボリュームの物語を成立させるような規模のゲームにはならないんですよ。
―― いくつも世界があって、そこを旅していくような物語にはできないということですね。
菊田 そういうものは、ゲームに使えないものもでるけどどんどん作って、使えるものだけ使うような状況でしかあり得ないと思います。『クーデルカ』については、作ったものをきれいに当てはめて全部使いつつ、プレイヤーに楽しんでもらうためのコンテンツを作らないといけませんでしたから、そうした余裕はありませんでした。
―― だから、『クーデルカ』は修道院というひとつの舞台になっているわけですね。
菊田 そういうことです。
―― その修道院も、菊田さんならではのこだわりで作りこんで魅力ある舞台にしたわけですよね。
菊田 これだけのマップでRPGを作るってどうしたらいいんだろうって、普通のデザイナーだったら愕然とすると思いますよ。それを成立させるために、まず場所を限定させなければいけないし、物語もそれにあったものにしなければならない。それで成立する物語って何かといったらホラーしかないんです。他のかたちでは不可能だったと思います。
『クーデルカ』を作るうえで、やっぱり『バイオハザード』(※PSで第1作が1996年発売)は凄く参考になっているんですけど、ホラーの良いところって「この人がどういう人でここに来て……」というような前置きがなくても「怖い」というひとつの軸で成り立つんです。普通のRPGってそうじゃないですよね。
―― そうですね。まず世界観の説明などから始まることが多いと思います。
菊田 まず世界観の説明から入らなくちゃいけなくなるんだけど、僕らにはそういうことに費やすリソースはなかったんです。「なんとかの世界の中心にこれがあって……」みたいなことではなく「怖そうな建物に入ったら化け物がでて襲われた」。これだと説明は1行もなしでいいですよね。そこから、「実はこうで……」とあとから説明をすればいい。“あとから”が許されるからホラーは成立するんです。
2年という期間、限られた予算、人員という今自分たちが与えられたもので戦っていくためにはジャンルはホラーしかないっていうのが当時の僕の結論でした。
―― 現実的な考えのもとホラーというジャンルを選択し、そこから限られた条件をあてはめることができる世界観や舞台を考えていったということなんですね。
菊田 うん。そこから全部組んでいったというのが本当のところです。
※試し読みはここまでです

