人が走るのには理由がある
『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』監督 原 恵一(後編)

前編に続き、原恵一監督に映画のメイキングを伺っていく。困難な日常芝居を描いたアニメーターたちの活躍、そして観た人の心に残るお栄の「走り」に込めた監督の思いとは?

Profile
原 恵一 Keichi Hara
アニメーション監督。近年の監督作品に、『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』『映画 ククレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』『河童のクゥと夏休み』『カラフル』など。2013年には、木下惠介生誕100年プロジェクトの一環で、初めての実写映画『はじまりのみち』の監督を手がけた。

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ホッとする存在としての犬

―― 本作は日常芝居が非常に多くて、アニメーターの方々は苦労されたと思います。事前に、作画のハードルが高くなりそうだという話をされたりしたんでしょうか。
原 いや、それはないですね。作画のレベルが上がったことに関しては、プロデューサーの松下さんがそういう方々を集めてくださったおかげです。僕の方からも「この人に声をかけてほしい」と何人か希望はだしましたが、今回ほとんどの作画さんは、初めてだけど優秀な方たちばかりでしたので。
―― ちなみに、原監督が希望をだした方はどなたになるんでしょう?
原 『カラフル』で作画監督をやった佐藤(雅弘)君や、同じく『カラフル』で初めて原画をお願いした松本(憲生)さん。あと『河童のクゥ』からの付き合いの霜山(朋久)君と、浦上(貴之)君。その辺りの方には声をかけてほしい、とお願いしました。
―― Production I.Gの劇場作品によく参加されている井上俊之さんや西尾鉄也さんなどは、松下さんからのお声がけなんですね。
原 そうです。
―― お栄を美形にしたいというお話がありましたが、原作ではそれほど出番が多くはなかった犬が大きくフィーチャーされているのも、映画ならではの変更だったのではないでしょうか。
原 原作にでてくるからというのが大きいんですが、杉浦さんご自身も犬好きだったらしいんですよね。作品の中でホッとする存在として、犬を随所にだそうと思って、ああなりました。
―― 犬の仕草が、とても可愛かったです。
原 有り難うございます。あまり擬人化はしないで描きました。僕自身、身近に犬がいたことがありましたので、そこは自然にやれたと思います。犬の話でいうと、シナリオ会議のときに、Production I.Gの石川さんから「原さん、犬はいるかなあ?」と言われたんですよ。「いや、この犬は必要ですよ」と返したら、半分冗談みたいな感じで「うちは犬で酷い目にあっているんだよね」という話をされて……。
―― (笑)。
原 たぶん、石川さん流の冗談だったんだと思いますけどね。あとやっぱり、どれぐらい犬の描写に注力するのかという心配もあったのかもしれません。僕が犬好きなのは石川さんも知っていたから、犬の描写ばかり一生懸命にやるんじゃないだろうかと。ちょっと釘をさしておこうぐらいの気持ちだったんじゃないかと思います。

北斎の家に住み着いた犬と池田善次郎。コメディリリーフ的な役割を果たしている

北斎の家に住み着いた犬と池田善次郎。コメディリリーフ的な役割を果たしている

観た人の心をざわっとさせる、お栄の走り

―― コンテに1年以上かけられたというお話でしたが、作画はどんな感じに進んでいったのでしょうか。
原 今回はとにかく、原画さんがみんなスケジュールをきちんと守ってくれる方たちばかりだったんですよ。絵コンテがある程度あがった段階で作画に入ったんですが、「あの人に頼んだカットが全然あがってこない……」みたいなことはなかったはずですね。けっこう順調に進んだと思います。
―― ちなみに、先ほどお名前のでた松本憲生さんは、どんなところを描かれているのでしょうか。
原 松本さんが描いたのは、大きくいって3カ所ですね。お猶とお栄が船に乗って最後に北斎の絵になるところと、蔭間茶屋のシーン。お栄が、自分の絵に色気がないと言われていくところです。
―― 茶屋の中でのやりとりを全部ですか。
原 そうです。あとはオーラスのシーンですね。最後の両国橋の上のところのモブ。今言ったところが松本さんのやったところです。
―― 最後のところで、お猶を心配してお栄が走るところは、どなたが担当されているんでしょう?
原 あれは『カラフル』作監の佐藤君です。ああいうシーンが映画には必要だと僕はつねづね思っていて……周りは「原監督、ご乱心」みたいに思ったかもしれませんが(笑)。
―― そうなんですか。
原 制作は、あのシーンの絵コンテをみてビックリしたと思いますよ。40秒くらい背景動画で動かしていますから。昔はアニメの華だったけれど、今は廃れた背景動画という技術を使い、しかもあれだけの尺を、いったい誰が描くんだと。分業できる作業じゃないですからね。ひとりが描くしかないんで。
―― どうして入れようと思われたのでしょう?
原 なぜか、ああいうシーンを作りたくなっちゃうんですよね。それはたぶん、僕がアニメーター出身の監督ではないからというのが大きいと思います。アニメーター監督だったら、たぶんああいうカットは作らないです。それがいかに大変な作業かというのを身をもって分かっているはずですから。
―― 無責任に人にお願いできるからやろうと思えるという感じでしょうか。
原 そんな感じだと思います。ただ、制作に渡す前に、キャラクターデザインの板津さんには相談しましたよ。「こういうカットを作ったんだけれど、どう思う?」って。そうしたら彼は「えっ!?」という顔をして、「原さん……この1カットだけで、何カ月かかかりますよ」と。ただ、「やめたほうがいいですよ」とは言われなかったから、「よしよし、そうかそうか。じゃあ、何カ月か誰かに苦労してもらおう」と思って、制作に渡しました。
―― 実際に、そのカットを担当された佐藤さんは何かおっしゃっていましたか。
原 佐藤くんは、普通に淡々と作業していたと思いますよ。
―― 原監督の作品では、走るシーンが印象的に描かれることが多いですよね。『カラフル』にも、ホテルの前から女の子を連れ出して走る場面がありましたし、『オトナ帝国』でも最後(野原)しんのすけは、ひたすら走っていました。キャラクターに走らせることについて、何か特別な思いがあるのでしょうか。
原 やっぱり、登場人物が走るのには理由があるわけですよね。嬉しくて走ることもあるし、今回みたいに悪い予感にかきたてられて走ることもある。ただ、どのシーンにも共通していえるのは、登場人物の感情が大きく動いている表現であるわけです。お栄が走るシーンは、漫画ではロングショットで描かれていましたが、絵コンテを描いているときに、「アニメなんだから、漫画のコマとコマの間を描く、気が狂ったようなカットを入れたほうがいいんじゃないか」と思うようになったんですよ。
―― そういう意味で「ご乱心」と言われたのですね。非常に手間のかかることは承知で、それでもやりたいというお気持ちがあった?
原 ありましたね。お栄が背景動画で走るカットは、今時のアニメの作り方でいったら、絶対に3DCGを導入して作るはずなんです。ただ今回は、ベテランの優秀なアニメーターさんが多く参加されていたので、きっと誰かが上手くやってくれるだろうと思ったんですよね。3DCGと作画で協力してやれば、もっと自然にみえるカットができたはずなんですけれど、やっぱり背景も人物もふくめて、ひとりの人間がカメラワークをつけながら描くということをやりたかったんです。そうすることで、それを観た人の心がざわっとするはずだと思ったんです。
―― 最後に、公開を控えた現時点で感じられている手応えと(編注:この取材は3月末に行われた)、これから観ようと思っている方へのメッセージをお願いします。
原 手応えは、物凄く感じています。映画というのはお金を払って観てもらう娯楽ですが、今回の『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』は絶対損はさせないよという自信があります。
―― 公開されたら、私もあらためて拝見したいと思います。本日は有り難うございました。

『百日紅 ~Miss HOKUSAI~』
5月9日(土)より、
TOHOシネマズ日本橋、テアトル新宿他、全国ロードショー

Official Website
http://sarusuberi-movie.com/

(C)2014-2015 杉浦日向子・MS.HS/「百日紅」製作委員会