杉浦日向子の漫画『百日紅(さるすべり)』を、長編アニメーション化した映画『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』(5月9日より公開)。葛飾北斎の娘である浮世絵師・お栄を中心に、江戸時代を生きる市井の人々の暮らしを、季節感豊かにのびのびと描いている。原作者の大ファンであるという原恵一監督に、本作に賭ける思いを伺った。なお、本作をまっさらな気持ちでご覧になりたい方は、観賞後に読むことをお勧めする。
Profile
原 恵一 Keichi Hara
アニメーション監督。近年の監督作品に、『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』『映画 ククレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』『河童のクゥと夏休み』『カラフル』など。2013年には、木下惠介生誕100年プロジェクトの一環で、初めての実写映画『はじまりのみち』の監督を手がけた。
杉浦さんは、演出家として優れた才能をもった方
—— 初見は原作を未読のまま、2回目は原作を読んでから拝見しました。本当に面白かったです。
原 有り難うございます。
—— どうして杉浦日向子さんの漫画を映像化しようと思われたのでしょうか。
原 もともと杉浦さんの漫画が大好きだったんですよね。いつかは映像化したいなという気持ちがずっとあったんです。
—— いつ頃からのファンなのでしょう?
原 20代後半の頃からだと思います。杉浦さんの『風流江戸雀』の単行本が本屋に平積みになっていたので読んだら、すごく面白かったんですよね。時代劇というと、どうしても侍の話が多いじゃないですか。映画でも侍を描いたものがほとんどで。杉浦さんの漫画にでてくるような、市井の人々の日常を描いたものは他にあまりないと思うんです。しかも、『風流江戸雀』を読むとまた、江戸時代の人々の暮らしがやけに楽しそうで。
—— そうですよね。
原 なんだか、まったく新しい江戸の世界観みたいなものを感じたんですよね。そこから杉浦さんの描いた単行本を買い漁って、読み始めるようになりました。僕がほとんど全ての単行本を読んでいる漫画家は、おそらく杉浦日向子さんと、つげ義春さん、藤子・F(・不二雄)先生くらいだと思います。
—— 本当に杉浦さんの作品がお好きなんですね。
原 それだけ気に入ったということは、どこか自分にフィットした作風の人だったんでしょうね。僕は杉浦さんのことを、漫画家というよりも、演出家として優れた才能をもった方だと思っているんですよ。全体の構成やコマ割にいつも舌をまいていましたし、僕自身だいぶ影響を受けていると思います。杉浦さんは、僕の1つ上なんですが、自分と同じくらいの年齢の人が、どうしてこんなに凄い作品を描けるんだろうという嫉妬みたいなものも当時はありましたね。
—— 『河童のクゥと夏休み』で東京タワーの上に龍が現れるところや、『映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』で白木蓮の花が落ちるところなどは、杉浦さんの漫画の影響だそうですね。
原 杉浦さんの漫画を読んでいなかったら、『河童のクゥ』に龍は出さなかったんじゃないかと思います。『百日紅』だけではなく、杉浦さんの他の漫画にも龍はよくでてくるんです。僕が大好きな『風流江戸雀』には、そうした非日常的なものは全くでてこないんですが、他の作品では龍がでてきたり、非日常が入りこんでくるような作品を杉浦さんは沢山描いていて。今回の『百日紅』の映像化でも、そうした江戸の人々の日常と、龍のような非日常的なものを、上手く組み合わせて作れたらいいなと思っていました。
会って2回目に「原さん、『百日紅』をやらないか」
—— 今回、原監督が、Production I.Gで作ることになったのには、どういう経緯があったのでしょうか。
原 今お話したように、映像化したいという気持ちはずっとあったんですが、企画書を作って誰かに見せるようなことは一切していなかったんです。ただ、『カラフル』の制作が終わったあとに、次の仕事がなかなか決まらなかったんですね。僕もフリーなので、仕事が決まらないと食べていけませんから、ちょっと営業しようと思って。で、Production I.G社長の石川(光久)さんとは、そこそこ古い付きあいだったので、「何かあったら宜しくお願いします」くらいの気分でお会いしたんです。その時に、「例えば、こんな作品が作れれば僕は嬉しいんだけれど」ともっていったのが、杉浦さんの別の作品だったんです。そうしたら石川さんが、「実は、うちで杉浦さんの『百日紅』の映像化企画を一度動かしたことがある。でも、それは結局、断念したんだけれど」という話があって。で、次に会いにいったときに石川さんから「原さん、『百日紅』をやらないか」と言っていただいたんです。ただし、これだけの予算で、長さは1時間半でという具体的な条件も出されて、「それでもいいなら、うちはやるよ」と。それで、ぜひやらせてくださいとなって、Productiion I.Gさんで作ることになったんです。
—— 2回会って企画が決まるというのは凄いですね。90分という長さで、『百日紅』をアニメーション映画にできそうだという感触があって、やろうと思われたのでしょうか。
原 そうですね。群像劇である『百日紅』を映画にするには、やっぱり何か縦軸が必要だなと思ったんですよ。それで思いついたのは、お栄とお猶という姉妹の関係を縦軸にして、原作のエピソードをチョイスしていくことでした。まず最初に、僕の方で構成を作って、それを脚本の丸尾(みほ)さんに渡してシナリオ化してもらいました。第一稿が、ほぼ決定稿だったと思います。
—— 主人公の妹であるお猶は、原作の最後の方にでてくるキャラクターですよね。漫画ではほんの少ししか出てこないお猶が、この映画の軸になっているのに驚きました。
原 僕が最初に読んだのは、今でているちくま文庫版ではなく、最初の単行本(実業之日本社刊)だったんです。単行本の最終話は「野分(のわき)」というお猶が出てくるエピソードで、あの話で終わるのが、僕にとっての『百日紅』だったんですよ。
—— あのエピソードで終わると、凄く印象に残りそうですね。
原 ちくま文庫版にその後2本のエピソードが入っているというのを、僕はずっと知らなかったんです。そんなこともあって、「野分」をクライマックスにしようというのは最初に決めました。そこから逆算して、あそこがクライマックスにふさわしいシーンになるように構成していった感じです。
杉浦さんの漫画に答えがある
—— 主要な制作スタッフは、どのように選ばれていったのでしょうか。
原 スタッフィングに関しては、プロデューサーの松下(慶子)さんが中心になって、ほとんどやってくれました。
—— 松下さんは、Production I.Gで、『ももへの手紙』『うさぎドロップ』『ハイキュー!!』などを担当されている方ですよね。原監督から「こういう絵作りにしたい」という希望などを伝えられたりしたのでしょうか。
原 いや、絵作りがどうこうっていう話は、あんまりしなかったですね。
—— キャラクターデザインは、『電脳コイル』の総作画監督などを手がけた板津(匡覧)さんですよね。原監督から、どんなオーダーをされたのでしょうか。
原 僕の方からは「お栄を美形にしたい」という話をしました。原作ではそんなに美人ではないという設定なんですが、そこは今回ちょっと杉浦さんにごめんなさいをして、美形にさせてもらいたい。ただし、1カ所だけ違和感のあるところを作りたいと。それが、彼女の眉の太さだったりするんですけれど。
—— 原作では、父の鉄蔵(葛飾北斎)が、お栄のことを「アゴ」と呼んでいますが、今回の映画でなくしたのは、同じような意図からですか。
原 そうです。北斎が娘のことを名前ではなく、「アゴ」と顔の特徴をとらえて呼んでいたことは、実際に記録として残っているんですよね。杉浦さんはそれを再現されていたんだと思います。
—— 今のお話にもあるように、杉浦さんの漫画は、江戸時代への豊かな知見に基づいて描かれています。それをアニメーションにするとき、そうした部分を再現しようと色々調べられたんでしょうか。
原 それなりにはやりました。でも、どう背伸びしたって、やっぱり僕らに杉浦さんほどの知識はないわけですよ。結局どうしたかというと、「杉浦さんの漫画が答えだから」ということを、つねにスタッフには話していました。
—— なるほど。迷うところがあったら、原作を読み返すと。
原 そうですね。杉浦さんの他の漫画をふくめてですけれど。
—— 映画の冒頭で両国橋の全景がみえる場面が、とても印象的でした。実際にあれくらい大きくて長かったのでしょうか。
原 あれくらいの大きさだったはずですよ。両国橋の下を流れる隅田川は、江戸時代も今もだいたい流れは同じなんですけど、川幅は今よりも若干広かったらしいんです。あと、なぜ大きくみえるかといったら、やっぱり高い建物がまわりにないのが大きいんですよね。
—— 細かい話になりますが、映画の中で、吉原まで首がのびる花魁をみにいくエピソードがありますよね。あそこで、お栄が札をもらう描写は原作にはありませんでした。どうして、ああした描写を入れられたのでしょう?
原 あの描写は、杉浦さんの他の漫画からの引用ですね。吉原という場所は、女性の出入りに関しては厳しかったらしいんです。ただ、仕事で出入りする女性も沢山いますから、その人たちに関しては、大門を入ったすぐ横の番所で大門切手をもらって、用が終わったらそこに返すというシステムがあったそうなんです。
—— 杉浦さんの他の漫画から足したところもあるわけですね。お栄とお猶の交流を描いたシーンは、アニメオリジナルのものが多かったと思いますが、雪の場面は、ちくま文庫版で収録されたエピソード(「山童」)が活かされてるように思いました。
原 そうですね。杉浦さんは季節感を凄く大事にされる作家だったので、今回映画化するにあたって、やっぱり季節感は大事にしたいと思って、原作のエピソードをチョイスしました。今言われた雪のシーンで椿の花をだしたんですけれど、あれは杉浦さんが漫画以外の本で「椿の花が大好きだ」と書かれていたからなんです(編注*)。そういう風に、杉浦さんの作品から色々な要素を集めているところがあります。
編注*杉浦日向子のイラストエッセイ『江戸アルキ帖』(新潮文庫)の158頁に「(前略)椿を見る。パリッとした色濃い葉っぱの中の紅い花。桜よりも牡丹よりも薔薇よりもこの木が好きだ」という記述がある
—— スタッフサイドの話に戻りますが、今回、演出助手として佐藤雅子さんがクレジットされていますよね。『かぐや姫の物語』の絵コンテに参加されている方のようですが。
原 佐藤さんも、プロデューサーの松下さんのスタッフィングです。僕がデジタル的な技術に疎いんで、今時のアニメの作り方にちょっとついていけないところがあるんですよね。そういう面をサポートしてもらっています。キャラクターデザインの板津さんも今時のアニメの作りはよくわかっているので、板津さんと佐藤さんがいれば、僕が具体的なことをいう必要がなくなるんですよ。彼らに「こんな絵を作りたいんだけど、どうしたらいいだろう」みたいな話をすると、「こうすれば、できるんじゃないですか」と答えをちゃんと出してくれる。そこは助かりました。
—— 佐藤さんや板津さんが、テクニカル面でのサポートをされているんですね。
原 おふたりふくめて、今回は本当にスタッフに恵まれましたね。僕は絵コンテを描いたら、あとはもう皆さんにお任せぐらいの感じで作れました。
—— 絵コンテには、かなり時間をかけられたんでしょうか。
原 ええ。それは毎回変わらないですね。
—— 具体的に、どれくらいの時間がかかったんでしょうか。
原 いやあ、けっこうかかりましたよ。脚本ができてから、1年以上やってたんじゃないですかね。僕の場合、絵コンテでつい尺がふくらみがちになるんです。とにかく、まずは脚本上で90分に収まるように脚本の丸尾さんにお願いしました。それでもやっぱり、絵コンテを描いているうちに、どんどん長くなっていってしまって……。そこはもう自分の方で判断して、描いた絵コンテをどんどん欠番にしていきました。Aパートが描きおわって、このままいったら2時間になってしまうなと思ったら、あるパートは全部欠番にしたりといった感じですね。そういう尺計算も、僕にしては珍しくやりました。
—— 90分とは思えないくらいお話が詰まっている印象だったのですが、今のお話をきいてその理由がわかった気がしました。
原 絵コンテを描いているとき、『クレヨンしんちゃん』の映画を作っていたときのことを、なるべく思い出そうとしていたんですよ。あれはほぼ90分の映画なので、あのテンポで作れば大丈夫だろうと。欠番をだしながら絵コンテをつめていくなかで、だんだんと全体のテンポがつかめてきたっていうのはありますね。
—— 絵コンテ段階で、そうとう細かく決め込まれたんですね。
原 ええ。絵コンテ段階では、だいぶ欠番をだしましたが、実際に作画作業に入ってからは、欠番は1カットもだしていないです。
『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』
5月9日(土)より、
TOHOシネマズ日本橋、テアトル新宿他、全国ロードショー
Official Website
http://sarusuberi-movie.com/
(C)2014-2015 杉浦日向子・MS.HS/「百日紅」製作委員会